2010年ワールドカップで注目される選手
リオネル メッシ (ARG)
ウェイン ルーニー (ENG)
クリスチアーノ ロナウド (POR)
アーロン レノン (ENG)
マルセル ヤンセン (GER)
セルヒオ ラモス (ESP)
ホセ モンティエル (PAR)
ルカ モドリッチ (CRO)
アルテム ミレフスキー (UKR)
ルーカス ポドルスキ (GER)
ヴァロン ベーラミ (SUI)
セスク ファブレガス (ESP)
トランキロ バルネッタ (SUI)
ライアン バベル (NED)
アンドレス グアルダード (MEX)
リオネル メッシ (ARG)
ウェイン ルーニー (ENG)
クリスチアーノ ロナウド (POR)
アーロン レノン (ENG)
マルセル ヤンセン (GER)
セルヒオ ラモス (ESP)
ホセ モンティエル (PAR)
ルカ モドリッチ (CRO)
アルテム ミレフスキー (UKR)
ルーカス ポドルスキ (GER)
ヴァロン ベーラミ (SUI)
セスク ファブレガス (ESP)
トランキロ バルネッタ (SUI)
ライアン バベル (NED)
アンドレス グアルダード (MEX)
スポンサーサイトラボルペ監督の秘密兵器、アンドレス・グアルダード
1年前、まだ無名だったアンドレス・グアルダードは、メキシコリーグの強豪クラブ、アトラスの控え選手にすぎず、メキシコサッカーの最高峰で実力が発揮できるチャンスをひたすら待ち続けていた。しかし、そのわずか1年後に大きな飛躍を遂げることになるとは思いもしなかっただろう。
グアルダードのサクセスストーリーは、まさに流星の勢いだ。メキシコのトップリーグでプロデビューを果たすことは、彼にとって幼い頃からの夢だった。いまや彼は、自身の明晰な頭脳、運動神経、そして俊敏さを武器に夢を実現し、メキシコサッカー界に名前の知れ渡る存在となった。
相手チームのディフェンダーを翻弄させるウィングの名士には、油断も隙も見せられない。いつも左サイドを縦横無尽に駆け回っているグアルダードだが、チーム最後尾の要となるウィングバックとして起用されることもある。彼には、驚くほどの万能性が備わっているのだ。
成功への手助け
メキシコリーグの中で、アトラスの育成システムは最も成功している。グアダラハラを地元とするアトラスのユースチームは、これまでにワールドクラスのサッカー選手を数多く輩出してきた。ディフェンダーのラファエル・マルケスや、キーパーのオズワルド・サンチェス、そしてミッドフィルダーのパベル・ペドロは、現在、メキシコ代表の主力選手であり、所属するバルセロナでもその活躍はめざましい。メキシコサッカー界の新星、グアルダードもまた、そのロヒネグロ(アトラスの愛称)サッカーアカデミーの卒業生である。
革新的なメキシコサッカー協会(FMF)が先導する若手育成への取り組みの一環として、若きグアルダードにもチャンスが与えられた。2005年半ばより、全クラブチームに、メキシコリーグの全試合数の半分において21歳未満の若手選手を起用することが義務付けられたのである。このサッカー協会の取り組みにより、アトラスの俊足グアルダードは恩恵にあずかることになった。
リーグの存続をかけて苦戦を強いられている最下位チームは、最下位脱出を狙い、安全策として経験豊富なベテラン選手のみを起用することが多い。アトラスもシーズン当初はそうした傾向にあったが、結果は3連敗という苦渋を味わった。そのためアトラスは、その失敗で得た教訓と、若手選手起用に関するFMFの新規定に伴い、今まで実績のなかった若手を起用せざるをえない状況となった。そして、グアルダードの起用は功を奏した。
スターダムへの急進
グアルダードがプロデビューを飾ったのは、2005年の"トルネオアペルチュラ"(リーグ選手権)での第4試合目だった。アトラスの対戦相手はパチューカ。残り時間15分、2-2の同点で激しい攻防が繰り広げられていた最中、俊足グアルダードは後ろを振り返ることもなく、相手の守備陣を見事にかわしてピッチを駆け回り、87分、アトラスの決勝点を挙げた。そして、彼は大会での14試合のうち13試合に出場し、その活躍が買われ、遂にメキシコ代表入りを手に入れた。
アトラスでのデビュー戦からわずか3ヶ月で9試合出場を果たしたグアルダードは、2005年12月12日、メキシコ代表の有名な緑色のユニフォームを身につけ、ハンガリーとの親善試合に出場した。トリコロール軍団メキシコは快勝し、グアルダードはサッカーの国際舞台で輝かしい第一歩を飾った。リカルド・ラボルペ監督もグアルダードの活躍ぶりに満足していた。ピッチを駆け回るグアルダードは緊張感で固くなることもなく、のびのびとプレーするその姿は、まるで学校の校庭を駆け回る少年を思わせた。
その試合以降、グアルダードはメキシコ代表の試合には欠かせない存在となり、3試合連続出場を果たすと、その才能に周囲は圧倒された。ラボルペ監督はグアルダードの才能についてこう語る。「19歳の少年とは思えないほどの威力を感じる。ピッチを縦横無尽に駆け回り、恐れを知らない。緊張して固くなるかもしれないと案じていたが、そんなことなどまったくなく、祖国のためにいいプレーをして見せた。個性が強く、いい意味で図太い神経の持ち主だ。2006年ドイツ大会で、ジレットベストヤングプレーヤー賞の受賞候補になることは間違いない」。
1年前、まだ無名だったアンドレス・グアルダードは、メキシコリーグの強豪クラブ、アトラスの控え選手にすぎず、メキシコサッカーの最高峰で実力が発揮できるチャンスをひたすら待ち続けていた。しかし、そのわずか1年後に大きな飛躍を遂げることになるとは思いもしなかっただろう。
グアルダードのサクセスストーリーは、まさに流星の勢いだ。メキシコのトップリーグでプロデビューを果たすことは、彼にとって幼い頃からの夢だった。いまや彼は、自身の明晰な頭脳、運動神経、そして俊敏さを武器に夢を実現し、メキシコサッカー界に名前の知れ渡る存在となった。
相手チームのディフェンダーを翻弄させるウィングの名士には、油断も隙も見せられない。いつも左サイドを縦横無尽に駆け回っているグアルダードだが、チーム最後尾の要となるウィングバックとして起用されることもある。彼には、驚くほどの万能性が備わっているのだ。
成功への手助け
メキシコリーグの中で、アトラスの育成システムは最も成功している。グアダラハラを地元とするアトラスのユースチームは、これまでにワールドクラスのサッカー選手を数多く輩出してきた。ディフェンダーのラファエル・マルケスや、キーパーのオズワルド・サンチェス、そしてミッドフィルダーのパベル・ペドロは、現在、メキシコ代表の主力選手であり、所属するバルセロナでもその活躍はめざましい。メキシコサッカー界の新星、グアルダードもまた、そのロヒネグロ(アトラスの愛称)サッカーアカデミーの卒業生である。
革新的なメキシコサッカー協会(FMF)が先導する若手育成への取り組みの一環として、若きグアルダードにもチャンスが与えられた。2005年半ばより、全クラブチームに、メキシコリーグの全試合数の半分において21歳未満の若手選手を起用することが義務付けられたのである。このサッカー協会の取り組みにより、アトラスの俊足グアルダードは恩恵にあずかることになった。
リーグの存続をかけて苦戦を強いられている最下位チームは、最下位脱出を狙い、安全策として経験豊富なベテラン選手のみを起用することが多い。アトラスもシーズン当初はそうした傾向にあったが、結果は3連敗という苦渋を味わった。そのためアトラスは、その失敗で得た教訓と、若手選手起用に関するFMFの新規定に伴い、今まで実績のなかった若手を起用せざるをえない状況となった。そして、グアルダードの起用は功を奏した。
スターダムへの急進
グアルダードがプロデビューを飾ったのは、2005年の"トルネオアペルチュラ"(リーグ選手権)での第4試合目だった。アトラスの対戦相手はパチューカ。残り時間15分、2-2の同点で激しい攻防が繰り広げられていた最中、俊足グアルダードは後ろを振り返ることもなく、相手の守備陣を見事にかわしてピッチを駆け回り、87分、アトラスの決勝点を挙げた。そして、彼は大会での14試合のうち13試合に出場し、その活躍が買われ、遂にメキシコ代表入りを手に入れた。
アトラスでのデビュー戦からわずか3ヶ月で9試合出場を果たしたグアルダードは、2005年12月12日、メキシコ代表の有名な緑色のユニフォームを身につけ、ハンガリーとの親善試合に出場した。トリコロール軍団メキシコは快勝し、グアルダードはサッカーの国際舞台で輝かしい第一歩を飾った。リカルド・ラボルペ監督もグアルダードの活躍ぶりに満足していた。ピッチを駆け回るグアルダードは緊張感で固くなることもなく、のびのびとプレーするその姿は、まるで学校の校庭を駆け回る少年を思わせた。
その試合以降、グアルダードはメキシコ代表の試合には欠かせない存在となり、3試合連続出場を果たすと、その才能に周囲は圧倒された。ラボルペ監督はグアルダードの才能についてこう語る。「19歳の少年とは思えないほどの威力を感じる。ピッチを縦横無尽に駆け回り、恐れを知らない。緊張して固くなるかもしれないと案じていたが、そんなことなどまったくなく、祖国のためにいいプレーをして見せた。個性が強く、いい意味で図太い神経の持ち主だ。2006年ドイツ大会で、ジレットベストヤングプレーヤー賞の受賞候補になることは間違いない」。
ファンバステンの期待に応えるバベル
アヤックス生え抜きのティーンエージャー、ライアン・バベルは、2005年3月26日のオランダ代表デビュー戦で大きな脚光を浴びた。
代表戦という晴れの舞台には、新人選手は誰でも威圧されてしまうものだ。それが、そのわずか13ヶ月前にクラブサッカーのシニア入りを果たしたばかりの18歳の選手にとってはなおさらのことだろう。それでもバベルはスポットライトに萎縮するどころか、本領発揮の活躍を見せる。ブカレストで催されたFIFA ワールドカップ™地区予選の対ルーマニア戦に、試合開始約20分後に負傷したアリエン・ロッベンに代わって登場したバベルは、代表監督マルコ・ファンバステンの期待に応え見事この試合で2点目となるゴールを決め、オランダを2-0の勝利に導いた。
ファンバステン率いるオランダ代表にとって、この試合での勝利はドイツ本大会に向けた大きな一歩であったが、アムステルダム生まれのバベルにとっても大きなステップとなった。68年ぶりの最年少ゴールスコアラーとなったことによって、最近のアヤックス・アカデミー出身者としてもてはやされるバベル人気の裏には、真の実力がしっかりと育まれていることを証明してみせた。
185センチの身長とスピードに恵まれたバベルは、11歳の頃からアヤックスに所属している。2004年に当時のアヤックス監督ロナルト・クーマンから 17歳2ヶ月でデビューのチャンスを与えられ、ユースからシニアに移った。
若手にチャンスを与えることで有名なこのクラブでは、バベルの早急とも思える起用も特に珍しいことではないが、この起用は確かに彼の早熟なフォワードの才能を認めたものだった。右利きのバベルは、センターストライカーだけでなく、ライトやレフトのサイドでも(今期のアヤックスでの彼のポジション)プレーすることができる。スピードとフェイント技術に長けた彼のような選手が後者のポジションについた場合、ディフェンダーにとってはやりにくいものだが、それが得点力をも備えるバベルであれば、本当に厄介な相手となる。
アヤックスでデビューを果たしてから9ヵ月後の2004年11月20日、バベルはリーグの対デ・フラーフスハプ戦で初ゴールを挙げ、チームの5-0の勝利に貢献する。この頃までに、バベルはスターティングメンバーとしてレギュラー入りし、エールディヴィジ(オランダ一部リーグ)の2004/05シーズンで7得点を挙げた。昨年7月に契約を更新した後、オランダスーパーカップの決勝で前回の王者PSVアイントホーフェンを相手に決勝点を挙げ、アヤックスの2-1の勝利に貢献し、今シーズンを華麗にスタートさせた。
UEFAチャンピオンズリーグのグループ予選では、出場5試合で着実な成長を見せ、ブロンビーとの2試合で得点を挙げると、アヤックスも順調に決勝ラウンドに進んだ。しかし、2 度目のフルシーズンとなるリーグ戦ではなかなか得点を挙げることができず、年が明けるまでの得点数はわずか1ゴールにとどまった。
アヤックスの若手ヘドウィヘス・マドゥロと同様、バベルがオランダ代表監督ファンバステンの若手起用方針の恩恵を受けていることは間違いなく、昨年3月のデビュー戦以来、オランダ代表にレギュラー参加もしている。2005年には、アルメニア戦、マケドニア戦、そしてイタリア戦の3試合に出場し、11月のホームにおけるイタリア戦ではオランダが3-1の負けを喫するものの、バベルは2本目の代表ゴールを挙げた。
バベルは、昨年夏の FIFAワールドユースでもオランダのキーメンバーとして貴重な代表試合の経験を積み、日本とチリ戦で得点を挙げて、オランダのベスト8進出に貢献した。19歳となった彼の前には、シニアの世界の檜舞台として6月のワールドカップドイツ大会が待ち受ける。FIFAワールドカップ™のオランダ代表に入るのは容易ではないが、バベルは果敢にチャレンジに臨むことだろう。
アヤックス生え抜きのティーンエージャー、ライアン・バベルは、2005年3月26日のオランダ代表デビュー戦で大きな脚光を浴びた。
代表戦という晴れの舞台には、新人選手は誰でも威圧されてしまうものだ。それが、そのわずか13ヶ月前にクラブサッカーのシニア入りを果たしたばかりの18歳の選手にとってはなおさらのことだろう。それでもバベルはスポットライトに萎縮するどころか、本領発揮の活躍を見せる。ブカレストで催されたFIFA ワールドカップ™地区予選の対ルーマニア戦に、試合開始約20分後に負傷したアリエン・ロッベンに代わって登場したバベルは、代表監督マルコ・ファンバステンの期待に応え見事この試合で2点目となるゴールを決め、オランダを2-0の勝利に導いた。
ファンバステン率いるオランダ代表にとって、この試合での勝利はドイツ本大会に向けた大きな一歩であったが、アムステルダム生まれのバベルにとっても大きなステップとなった。68年ぶりの最年少ゴールスコアラーとなったことによって、最近のアヤックス・アカデミー出身者としてもてはやされるバベル人気の裏には、真の実力がしっかりと育まれていることを証明してみせた。
185センチの身長とスピードに恵まれたバベルは、11歳の頃からアヤックスに所属している。2004年に当時のアヤックス監督ロナルト・クーマンから 17歳2ヶ月でデビューのチャンスを与えられ、ユースからシニアに移った。
若手にチャンスを与えることで有名なこのクラブでは、バベルの早急とも思える起用も特に珍しいことではないが、この起用は確かに彼の早熟なフォワードの才能を認めたものだった。右利きのバベルは、センターストライカーだけでなく、ライトやレフトのサイドでも(今期のアヤックスでの彼のポジション)プレーすることができる。スピードとフェイント技術に長けた彼のような選手が後者のポジションについた場合、ディフェンダーにとってはやりにくいものだが、それが得点力をも備えるバベルであれば、本当に厄介な相手となる。
アヤックスでデビューを果たしてから9ヵ月後の2004年11月20日、バベルはリーグの対デ・フラーフスハプ戦で初ゴールを挙げ、チームの5-0の勝利に貢献する。この頃までに、バベルはスターティングメンバーとしてレギュラー入りし、エールディヴィジ(オランダ一部リーグ)の2004/05シーズンで7得点を挙げた。昨年7月に契約を更新した後、オランダスーパーカップの決勝で前回の王者PSVアイントホーフェンを相手に決勝点を挙げ、アヤックスの2-1の勝利に貢献し、今シーズンを華麗にスタートさせた。
UEFAチャンピオンズリーグのグループ予選では、出場5試合で着実な成長を見せ、ブロンビーとの2試合で得点を挙げると、アヤックスも順調に決勝ラウンドに進んだ。しかし、2 度目のフルシーズンとなるリーグ戦ではなかなか得点を挙げることができず、年が明けるまでの得点数はわずか1ゴールにとどまった。
アヤックスの若手ヘドウィヘス・マドゥロと同様、バベルがオランダ代表監督ファンバステンの若手起用方針の恩恵を受けていることは間違いなく、昨年3月のデビュー戦以来、オランダ代表にレギュラー参加もしている。2005年には、アルメニア戦、マケドニア戦、そしてイタリア戦の3試合に出場し、11月のホームにおけるイタリア戦ではオランダが3-1の負けを喫するものの、バベルは2本目の代表ゴールを挙げた。
バベルは、昨年夏の FIFAワールドユースでもオランダのキーメンバーとして貴重な代表試合の経験を積み、日本とチリ戦で得点を挙げて、オランダのベスト8進出に貢献した。19歳となった彼の前には、シニアの世界の檜舞台として6月のワールドカップドイツ大会が待ち受ける。FIFAワールドカップ™のオランダ代表に入るのは容易ではないが、バベルは果敢にチャレンジに臨むことだろう。
スイス代表で最もおとなしいと言われるこの若手選手にとって「静か」あるいは「謙虚」という意味の「トランクイロ」ほどふさわしい名はないだろう。
ただし「お人好しは馬鹿をみる」ということわざは彼には当てはまらない。バルネッタは気取らない性格だが、これまでの若いキャリアですでに素晴らしい功績を残している。16歳でU-17ヨーロッパ選手権優勝を達成し、その2年後には早々とA代表に招集されている。最近ではブンデスリーガ所属のバイヤー・レバークーゼンの1軍に定着している。
その名が予想させる通り、バルネッタはイタリア系の家族出身である。ただし、彼はスイス代表の多くの若手選手とは違い、パスポートは1つしか所持しておらず、自分は「100%スイス人」だと言う。第1次世界大戦以前に曽祖父が一家を連れてスイスに移住しており、バルネッタの生い立ちはスイスの伝統をしっかりと踏まえたものだった。
バルネッタは、かつて繊維産業の拠点として繁栄したスイス東部のザンクトガレン州で生まれ、地元の修道学校に通った後、街に残る数少ない繊維会社で実習期間を終えている。
静かに学業に励んでいたバルネッタだが、彼のサッカーの才能は地元スカウトに大きく呼びかけるものだった。年上の男子相手にどんぶりの形の「サン シロ」と呼ばれる草地で将来の職業となるサッカーを始めたバルネッタは、その後ほどなくロトモンテンのジュニアチームの一員として注目されるようになる。
左右両サイドから前線に出る能力はまだこの段階では発揮されず、若いバルネッタはフルバックとしてプレーすることが多かった。それでもトップリーグ所属のザンクトガレンに注目されるだけの活躍を見せていたバルネッタは同クラブのユースチームに11歳の若さで入団した。
ジュニアチームでスイスのもう一人の将来有望な選手、ダビデ・チウメントとプレーを共にした後、バルネッタは2002年にジェラール・カステーラ監督に選ばれて1軍に昇格した。同年、バルネッタはこれまでの自身最大の功績であるスイスのUEFA U-17選手権優勝に貢献した。これはスイスにとって現在も唯一の国際大会優勝である。バルネッタはフィリップ・センデロスやレト・ツィーグラーもいる優秀なチームの一員として、フランスとの決勝戦のPK戦で3本目のペナルティ キックを見事に決めた。
U-17チーム、さらに最初の2シーズンでトップリーグの試合に60試合出場したザンクトガレンでの活躍が認められ、バルネッタはUEFA ユーロ2004の開幕直前にスイス代表のコビ・クーン監督に招集された。さらにバイヤー・レバークーゼンへの海外移籍も果たしている。
ポルトガルとの試合には招集されなかったものの、バルネッタは2004年9月FIFAワールドカップ地区予選の対アイルランド戦で国際試合デビューを果たし見事な活躍を見せた。ホームで行われたこの試合は1-1の引き分けに終わったが、バルネッタはハカン・ヤキンの同点ゴールをアシストしている。
しかし、次の試合で彼にとって初めて大きな試練が訪れる。イスラエル代表のオムリ・アフェクとの接触プレーで十字靭帯を断裂してしまったのだ。6ヶ月の治療と集中的リハビリを行った結果、バルネッタは見事な復帰を果たした。現在体調は負傷する前よりも良くなっている。ハノーファーへのレンタル移籍を終えたバルネッタは現在レバークーゼンの1軍に定着しており、FIFAワールドカップではスイス代表の先発選手として出場する可能性が高い。
バルネッタは2005年6月のフェロー諸島への遠征を前に代表チームに復帰し、その後の予選試合には全て出場している。アウェーで行われたトルコ戦の決定的なプレーオフでも90分間のフル出場を果たした。スコットランドに3-1で勝利した3月の親善試合では国際試合での初ゴールを決め、ワールドカップ出場へさらなるアピールをした。
4月にスイスのFIFAワールドカップでの勝機について質問されたバルネッタは、2002年に優勝を果たしたスイスのU-17チームも格下と見られていたことを指摘し「優勝のチャンスはある」と言い切る。バルネッタは決してホラを吹くような選手ではなく、彼にしてみればジュニアチームでの成功がA代表で再現できない理由など見当たらないのであろう。つまり、バルネッタは静かな男ではあるが、同時に自信に満ちているのである。
ただし「お人好しは馬鹿をみる」ということわざは彼には当てはまらない。バルネッタは気取らない性格だが、これまでの若いキャリアですでに素晴らしい功績を残している。16歳でU-17ヨーロッパ選手権優勝を達成し、その2年後には早々とA代表に招集されている。最近ではブンデスリーガ所属のバイヤー・レバークーゼンの1軍に定着している。
その名が予想させる通り、バルネッタはイタリア系の家族出身である。ただし、彼はスイス代表の多くの若手選手とは違い、パスポートは1つしか所持しておらず、自分は「100%スイス人」だと言う。第1次世界大戦以前に曽祖父が一家を連れてスイスに移住しており、バルネッタの生い立ちはスイスの伝統をしっかりと踏まえたものだった。
バルネッタは、かつて繊維産業の拠点として繁栄したスイス東部のザンクトガレン州で生まれ、地元の修道学校に通った後、街に残る数少ない繊維会社で実習期間を終えている。
静かに学業に励んでいたバルネッタだが、彼のサッカーの才能は地元スカウトに大きく呼びかけるものだった。年上の男子相手にどんぶりの形の「サン シロ」と呼ばれる草地で将来の職業となるサッカーを始めたバルネッタは、その後ほどなくロトモンテンのジュニアチームの一員として注目されるようになる。
左右両サイドから前線に出る能力はまだこの段階では発揮されず、若いバルネッタはフルバックとしてプレーすることが多かった。それでもトップリーグ所属のザンクトガレンに注目されるだけの活躍を見せていたバルネッタは同クラブのユースチームに11歳の若さで入団した。
ジュニアチームでスイスのもう一人の将来有望な選手、ダビデ・チウメントとプレーを共にした後、バルネッタは2002年にジェラール・カステーラ監督に選ばれて1軍に昇格した。同年、バルネッタはこれまでの自身最大の功績であるスイスのUEFA U-17選手権優勝に貢献した。これはスイスにとって現在も唯一の国際大会優勝である。バルネッタはフィリップ・センデロスやレト・ツィーグラーもいる優秀なチームの一員として、フランスとの決勝戦のPK戦で3本目のペナルティ キックを見事に決めた。
U-17チーム、さらに最初の2シーズンでトップリーグの試合に60試合出場したザンクトガレンでの活躍が認められ、バルネッタはUEFA ユーロ2004の開幕直前にスイス代表のコビ・クーン監督に招集された。さらにバイヤー・レバークーゼンへの海外移籍も果たしている。
ポルトガルとの試合には招集されなかったものの、バルネッタは2004年9月FIFAワールドカップ地区予選の対アイルランド戦で国際試合デビューを果たし見事な活躍を見せた。ホームで行われたこの試合は1-1の引き分けに終わったが、バルネッタはハカン・ヤキンの同点ゴールをアシストしている。
しかし、次の試合で彼にとって初めて大きな試練が訪れる。イスラエル代表のオムリ・アフェクとの接触プレーで十字靭帯を断裂してしまったのだ。6ヶ月の治療と集中的リハビリを行った結果、バルネッタは見事な復帰を果たした。現在体調は負傷する前よりも良くなっている。ハノーファーへのレンタル移籍を終えたバルネッタは現在レバークーゼンの1軍に定着しており、FIFAワールドカップではスイス代表の先発選手として出場する可能性が高い。
バルネッタは2005年6月のフェロー諸島への遠征を前に代表チームに復帰し、その後の予選試合には全て出場している。アウェーで行われたトルコ戦の決定的なプレーオフでも90分間のフル出場を果たした。スコットランドに3-1で勝利した3月の親善試合では国際試合での初ゴールを決め、ワールドカップ出場へさらなるアピールをした。
4月にスイスのFIFAワールドカップでの勝機について質問されたバルネッタは、2002年に優勝を果たしたスイスのU-17チームも格下と見られていたことを指摘し「優勝のチャンスはある」と言い切る。バルネッタは決してホラを吹くような選手ではなく、彼にしてみればジュニアチームでの成功がA代表で再現できない理由など見当たらないのであろう。つまり、バルネッタは静かな男ではあるが、同時に自信に満ちているのである。
急成長のファブレガス
これまで地元スペインではあまり目立たない存在だったセスク・ファブレガスだが、ここ数ヶ月のアーセナルでの爆発的な好調ぶりに状況は急変している。
カタルーニャ地方出身の新星ファブレガスは、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント・ベスト16のレアル・マドリード戦で多大な活躍をみせ、その直後の国際試合デビュー戦で見せたパフォーマンスと併せて、2006年FIFAワールドカップに向けルイス・アラゴネス監督率いる23名の代表入りの可能性も出てきた。
新旧を含め多くのサッカー選手の中でもとりわけファブレガスを絶賛するのは、かつてのアーセナルの人気者ポール・マーソンである。最近のインタビューでマーソンは次のように語った。「彼のパフォーマンスから判断して当然代表入りするべきだか、もしその通りスペイン代表入りを果たせば、今年のワールドカップでは主役になりかねない。それほどの実力の持ち主だ」。ファブレガス本人はいつもの謙遜ぶりをみせ、代表入りについては「ぜひともドイツ大会に出場したい。とはいっても、これまでトップチームでプレーした経験は1度しかないけどね」とコメントしている。
スペインのチームプロフィールを読む
いずれにせよ、早熟なミッドフィルダーはスペイン代表ジュニアチームにおいて素晴らしい実績を残している。出場資格年齢に達したばかりの2003年FIFA U-17世界選手権フィンランド大会では、決勝でブラジル代表に敗れ惜しくも準優勝に終わったものの、最優秀選手賞と得点王に輝いた。
この大会での実績は、アーセナル移籍へのステップとなった。ファブレガスは、イングランドの一流クラブのトップチームでプレーする可能性を求めて、FCバルセロナのユースを後にしたのだ。わずか16歳という年齢でのこの決断はかなり大胆なものでリスクも大きいが、彼自身この決断に満足していると主張する。「16歳という年齢でこの決断に踏み切ったことについては満足している。多くの人たちから信頼を得ているということにも光栄に思うよ」。
新しい環境への順応期間を経て、ファブレガスはアーセナルのトップチームでのポジション確保を目指して、すぐさま再始動した。現在ではクラブにとって最も力のあるプレーヤーの1人として、地位を確立している。ほかの誰よりも彼の功績を高く評価するのは、監督を務めるアーセン・ベンゲルである。チームにとって貴重な存在として高く評価されるファブレガスのプロとしての成長を、監督は父親のように見守ってきた。
「フットボールは、1本のロープのようなものだ」とファブレガスは説明する。「そのロープの先端にはすべての源であり常に支えとなってくれる家族と仲間たちがいて、そのロープをたどっていくとさらなる助力を与えてくれる支援者たちにたどり着く。僕にとっては、アーセナルという一流クラブでプロデビューするチャンスを与えてくれたアーセン・べンゲル監督がまさにその人なんだ。どんな時も親切に惜しみなく後押ししてくれた。監督には感謝のしようがない」。
バルセロナから移籍して1年後、才能あるティーンエイジャーは、べンゲルからプレミアリーグでのデビュー戦を言い渡される。2004/05シーズンの開幕戦、相手はエバートン。スペイン出身のファブレガスは、アーセナルの最年少選手としてそのデビュー戦を飾ったが、その時点で既に彼はアーセナルの拠点ハイベリーでいくつかの記録を樹立していた。リーグカップで同点に終わったロゼラム戦に、わずか16歳177日でスタメン出場。ガナーズの最年少トップチーム試合出場選手となる。その35日後のウルブス戦ではアーセナルの最年少得点記録を樹立した。
ファブレガスの活躍はまだまだ続く。同シーズン後半にはチャンピオンズリーグでアーセナルが引き分けたセルタ・デ・ヴィーゴ戦に出場。アーセナル所属の大陸クラブ世界一決定戦最年少出場選手となり、続いてヨーロッパ最年少得点選手という新たな記録も残した。
巨人の闊歩
10代らしくはにかみを含んだそのルックスや、明らかに成長途中だと感じさせる体格に、ファブレガスの実力をみくびったとしても致し方ない。だが、ピッチに上がった時の独創的なミッドフィルダーを一見すれば、彼のサッカープレーヤーとしての完成度は否定できないだろう。稀にみる天性の才能で相手の動きを察知し、パス出しは正確で失敗もほとんどない。細身の体格をうまく利用して巧みなサイドステップで絶妙なタックルさえもかわす。
そこそこのスピードにも恵まれ、スキをみつけては自らゴールも狙って行く。「例えば軸足である左足の動きや、空中戦での実力など、自分のサッカーにはまだ成長の余地がある。幸いにも僕はまだ若いから、万事うまくいけばこれから先まだまだスキルを磨く時間がある」と本人も語っている。
昨年6月、ファブレガスはスペイン代表メンバーとしてFIFAワールドユース選手権オランダ大会に出場した。残念ながら、彼の懸命の努力にも前大会王者は準々決勝でアルゼンチン代表に敗退。驚異のティーンエイジャー、リオネル・メッシに先導され、アルゼンチン代表が優勝の栄冠に輝いた。
しかしながら、2005年はファブレガスにとってこれ以上申し分のないシーズンとなった。スペイン代表のルイス・アラゴネス監督から、2006年ドイツ大会の代表入りが検討されている選手を集めてのインフォーマルな親睦会へも招待された。今年3月には、コートジボワールとの国際親善試合に代表デビューを遂げ、彼のワールドカップ出場の可能性はさらに強固なものとなった。メディアの注目が高まり代表入りへの期待が大きく膨らむ最中、ファブレガスは厳しい局面でも普段以上の実力を発揮。冷静で沈着した態度で中盤での役割をまっとうし、いつの間にか1938年アンヘル・ズビエタに次ぐ史上2番目に若いスペイン代表メンバー誕生への道を着実に歩んできている。
「人生で最高に幸せな瞬間」と試合後のインタビューで答えるファブレガス。「監督とファンからたくさんのサポートを受け、いいプレーができた。緊張に満ちた、ちょっと尋常じゃない1週間だったよ。落ち着いて現実を見つめて、冷静な判断をもって物事に取り組みたい。自分を取り囲む環境すべてが急進展している。若干18歳の僕にとってはあまりにも物事が急速に進み過ぎているかもしれない」と付け加え、年齢以上の落ち着きを示して見せた。
最近行われたチャンピオンズリーグでのレアル・マドリード戦とユベントス戦では巧妙な好プレーの数々を披露した。多くの熱狂的なファンを虜にし、すでにサッカー選手としての成功をも手にしている。陶然のことながら、数々のトップクラブがファブレガスに羨望のまなざしを送っているものの、差し当たって彼はアーセナルで目標達成に集中するつもりだ。アラゴネス監督の注意を引くことができたのも、所属クラブのアーセナルあってのことなのだから。
素晴らしいシーズンに裏付けられた自信に溢れるファブレガス。用心深い彼のこと、今夏は予定を空け、スーツケースを手元に置きつつ、いつでも祖国スペインの代表召集を受けられるよう備えていることだろう。代表入りが果たせれば、彼のバルセロナユース時代の朋友、またライバルでもあるメッシ率いるアルゼンチンへの雪辱を晴らすチャンスがくるかもしれない。
これまで地元スペインではあまり目立たない存在だったセスク・ファブレガスだが、ここ数ヶ月のアーセナルでの爆発的な好調ぶりに状況は急変している。
カタルーニャ地方出身の新星ファブレガスは、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント・ベスト16のレアル・マドリード戦で多大な活躍をみせ、その直後の国際試合デビュー戦で見せたパフォーマンスと併せて、2006年FIFAワールドカップに向けルイス・アラゴネス監督率いる23名の代表入りの可能性も出てきた。
新旧を含め多くのサッカー選手の中でもとりわけファブレガスを絶賛するのは、かつてのアーセナルの人気者ポール・マーソンである。最近のインタビューでマーソンは次のように語った。「彼のパフォーマンスから判断して当然代表入りするべきだか、もしその通りスペイン代表入りを果たせば、今年のワールドカップでは主役になりかねない。それほどの実力の持ち主だ」。ファブレガス本人はいつもの謙遜ぶりをみせ、代表入りについては「ぜひともドイツ大会に出場したい。とはいっても、これまでトップチームでプレーした経験は1度しかないけどね」とコメントしている。
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いずれにせよ、早熟なミッドフィルダーはスペイン代表ジュニアチームにおいて素晴らしい実績を残している。出場資格年齢に達したばかりの2003年FIFA U-17世界選手権フィンランド大会では、決勝でブラジル代表に敗れ惜しくも準優勝に終わったものの、最優秀選手賞と得点王に輝いた。
この大会での実績は、アーセナル移籍へのステップとなった。ファブレガスは、イングランドの一流クラブのトップチームでプレーする可能性を求めて、FCバルセロナのユースを後にしたのだ。わずか16歳という年齢でのこの決断はかなり大胆なものでリスクも大きいが、彼自身この決断に満足していると主張する。「16歳という年齢でこの決断に踏み切ったことについては満足している。多くの人たちから信頼を得ているということにも光栄に思うよ」。
新しい環境への順応期間を経て、ファブレガスはアーセナルのトップチームでのポジション確保を目指して、すぐさま再始動した。現在ではクラブにとって最も力のあるプレーヤーの1人として、地位を確立している。ほかの誰よりも彼の功績を高く評価するのは、監督を務めるアーセン・ベンゲルである。チームにとって貴重な存在として高く評価されるファブレガスのプロとしての成長を、監督は父親のように見守ってきた。
「フットボールは、1本のロープのようなものだ」とファブレガスは説明する。「そのロープの先端にはすべての源であり常に支えとなってくれる家族と仲間たちがいて、そのロープをたどっていくとさらなる助力を与えてくれる支援者たちにたどり着く。僕にとっては、アーセナルという一流クラブでプロデビューするチャンスを与えてくれたアーセン・べンゲル監督がまさにその人なんだ。どんな時も親切に惜しみなく後押ししてくれた。監督には感謝のしようがない」。
バルセロナから移籍して1年後、才能あるティーンエイジャーは、べンゲルからプレミアリーグでのデビュー戦を言い渡される。2004/05シーズンの開幕戦、相手はエバートン。スペイン出身のファブレガスは、アーセナルの最年少選手としてそのデビュー戦を飾ったが、その時点で既に彼はアーセナルの拠点ハイベリーでいくつかの記録を樹立していた。リーグカップで同点に終わったロゼラム戦に、わずか16歳177日でスタメン出場。ガナーズの最年少トップチーム試合出場選手となる。その35日後のウルブス戦ではアーセナルの最年少得点記録を樹立した。
ファブレガスの活躍はまだまだ続く。同シーズン後半にはチャンピオンズリーグでアーセナルが引き分けたセルタ・デ・ヴィーゴ戦に出場。アーセナル所属の大陸クラブ世界一決定戦最年少出場選手となり、続いてヨーロッパ最年少得点選手という新たな記録も残した。
巨人の闊歩
10代らしくはにかみを含んだそのルックスや、明らかに成長途中だと感じさせる体格に、ファブレガスの実力をみくびったとしても致し方ない。だが、ピッチに上がった時の独創的なミッドフィルダーを一見すれば、彼のサッカープレーヤーとしての完成度は否定できないだろう。稀にみる天性の才能で相手の動きを察知し、パス出しは正確で失敗もほとんどない。細身の体格をうまく利用して巧みなサイドステップで絶妙なタックルさえもかわす。
そこそこのスピードにも恵まれ、スキをみつけては自らゴールも狙って行く。「例えば軸足である左足の動きや、空中戦での実力など、自分のサッカーにはまだ成長の余地がある。幸いにも僕はまだ若いから、万事うまくいけばこれから先まだまだスキルを磨く時間がある」と本人も語っている。
昨年6月、ファブレガスはスペイン代表メンバーとしてFIFAワールドユース選手権オランダ大会に出場した。残念ながら、彼の懸命の努力にも前大会王者は準々決勝でアルゼンチン代表に敗退。驚異のティーンエイジャー、リオネル・メッシに先導され、アルゼンチン代表が優勝の栄冠に輝いた。
しかしながら、2005年はファブレガスにとってこれ以上申し分のないシーズンとなった。スペイン代表のルイス・アラゴネス監督から、2006年ドイツ大会の代表入りが検討されている選手を集めてのインフォーマルな親睦会へも招待された。今年3月には、コートジボワールとの国際親善試合に代表デビューを遂げ、彼のワールドカップ出場の可能性はさらに強固なものとなった。メディアの注目が高まり代表入りへの期待が大きく膨らむ最中、ファブレガスは厳しい局面でも普段以上の実力を発揮。冷静で沈着した態度で中盤での役割をまっとうし、いつの間にか1938年アンヘル・ズビエタに次ぐ史上2番目に若いスペイン代表メンバー誕生への道を着実に歩んできている。
「人生で最高に幸せな瞬間」と試合後のインタビューで答えるファブレガス。「監督とファンからたくさんのサポートを受け、いいプレーができた。緊張に満ちた、ちょっと尋常じゃない1週間だったよ。落ち着いて現実を見つめて、冷静な判断をもって物事に取り組みたい。自分を取り囲む環境すべてが急進展している。若干18歳の僕にとってはあまりにも物事が急速に進み過ぎているかもしれない」と付け加え、年齢以上の落ち着きを示して見せた。
最近行われたチャンピオンズリーグでのレアル・マドリード戦とユベントス戦では巧妙な好プレーの数々を披露した。多くの熱狂的なファンを虜にし、すでにサッカー選手としての成功をも手にしている。陶然のことながら、数々のトップクラブがファブレガスに羨望のまなざしを送っているものの、差し当たって彼はアーセナルで目標達成に集中するつもりだ。アラゴネス監督の注意を引くことができたのも、所属クラブのアーセナルあってのことなのだから。
素晴らしいシーズンに裏付けられた自信に溢れるファブレガス。用心深い彼のこと、今夏は予定を空け、スーツケースを手元に置きつつ、いつでも祖国スペインの代表召集を受けられるよう備えていることだろう。代表入りが果たせれば、彼のバルセロナユース時代の朋友、またライバルでもあるメッシ率いるアルゼンチンへの雪辱を晴らすチャンスがくるかもしれない。



