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クリスチアーノ ロナウド (POR)
もう一人のロナウドの台頭
ディフェンダーになったつもりで、クリスチアーノ・ロナウドと一対一の対決をするのを想像してほしい。マンチェスター・ユナイテッドおよびポルトガルのウィンガーのロナウドが大きなスライドでドリブルしながら突進してくる。そして、目の前ですばやく(あなたはもはや目で追えないかもしれないが)足元のボールを2回、3 回、4回とまたぐ。あなたはきっと慌てふためき、尻込みし、集中力を取り戻そうと必死になるに違いない。ロナウドはまさに今、注目すべき選手だ。ただし彼を目で追うことができたらの話だが…。
もしも、この仮定の話が現実だとしたら、ロナウドはこの2、3年、世界のトップDF陣を悩ませ続けているので、あなたの仲間はたくさんいることになる。

2003年8月、マンチェスター・ユナイテッドは1224万ポンド(約22億円)という破格の移籍金をスポルティング・リスボンに払ってロナウドを獲得し、当時18歳であったこの若者と5年間の契約を結んだ。デイビッド・ベッカムをレアル・マドリードに放出したばかりのマンチェスター・ユナイテッドは、このイングランド代表キャプテンが抜けた穴を埋める右サイドに、新たなスターを必要としていた。

マンチェスター・ユナイテッドがこの俊足のウィンガーに初めて注目したのは、アメリカで行われた親善試合だ。その夜ユナイテッドは、ロナウドを擁するスポルティング・リスボンと対戦し、まさに彼らが求めている選手を目の当たりにした。試合前、ユナイテッドの選手たちは、スポルティングの選手名簿の中にロナウドの名を見つけたとき、あのロナウドかと恐れを抱いたかもしれない。しかし、こちらのロナウドはマデイラ諸島出身で、元アメリカ大統領のロナルド・レーガンにちなんでその名がつけられた青年だと誰かが説明していたら、ユナイテッドの選手たちは不安にならずに済んだだろう。

1-3で試合に敗れたものの、ユナイテッドは相手を出し抜くスピードとドリブルスキルの持ち主、ロナウドに魅了された。ロナウドは1997年にナシオナルからスポルティングに引き抜かれ、2002/03年のシーズンに一軍入りしていた。ユナイテッドの選手たちは、イングランドへの帰途に着く飛行機の中でロナウドのことをひっきりなしに語り、アレックス・ファーガソン監督に即、ロナウドと契約するように直訴した。しかし、選手たちには知らされていなかったが、監督のファーガソンは実はもう数カ月前からスポルティングの輝く真珠、ロナウドに注目していた。他のクラブも興味を示し始めたため、ファーガソンは「これまでに見た中で最もわくわくさせる若手選手」と称し、ロナウドの獲得に動いた。

記録的な移籍金で契約を結んだロナウドは、ベッカムが着けていた7番のシャツを渡された。偶然にも7番はロナウドのヒーロー、ルイス・フィーゴの番号でもある。ユナイテッド移籍一週間後、ロナウドはポルトガルでフル代表デビューを果たし、自身のヒーロー、フィーゴとともにカザフスタン戦に出場した。

ユナイテッドでのデビュー戦となったボルトン・ワンダラーズ戦で、ロナウドのプレーは絶賛された。サー・アレックスは新契約したロナウドがベッカムの穴を埋めたのを喜び、「ニューヒーローが出現したようだ」とファンに宣言した。しかし、ユナイテッドでのロナウドの初シーズンは順風満帆ではなかった。デビュー直後は期待通りの活躍を見せたものの、ボールを何回もまたぐドリブルをやり過ぎ、肝心なところでのクロスで不可解な失敗をするなど、批判を浴びるようになった。

ロナウドは自らがいつも強調しているように学習能力が早く、自分の欠点を修正するために懸命に努力した。一方、ファーガソンは巨額を投資したロナウドをかばい、過去2年間、冬季中はロナウドをポルトガルで過ごさせた。ファーガソンはロナウドの初シーズン中に「彼はまだ18歳なのだから、起用法は慎重に考えなければならない」と説明した。スコットランド人のファーガソン監督のこの賢明な判断は、2004年のFAカップ決勝で結実した。リフレッシュしたロナウドは、カーディフのミレニアム・スタジアムで行われたFAカップ決勝のミルウォール戦でヘディングを決めるなど活躍をし、最優秀選手に選ばれた。レッドデビル(ユナイテッドの愛称)はこの試合を3-0で勝利し、10度目のFAカップタイトルを獲得した。

ロナウドはその好調ぶりをポルトガル代表としてユーロ2004においても発揮した。ギリシャに敗れ、夢の優勝は逃したものの、ポルトガルの決勝戦進出の原動力となった。ロナウドは同年の夏、オリンピックにも出場したが、ポルトガルはアテネではいい成績を残せなかった。

一年後、再びユナイテッドはFAカップ決勝に進出したが、PK戦でアーセナルに敗れ優勝をさらわれた。しかしユナイテッドは、過去1年で遂げたロナウドの進歩を高く評価し、好条件の契約更改をオファーした。そして2005年の夏、ロナウドは2010年までの契約延長に同意した。

2年連続でFIFA最優秀選手賞の最終選考に残ったロナウドは、世界中のファンからの注目を集め、2005年にFIFPro(国際プロサッカー選手協会連盟)最優秀ヤングプレーヤー賞に選ばれた。しかし2006年FIFAワールドカップ™に向けてのシーズンは、ロナウドにとっては困難な状況でのスタートとなった。父親が重い病に倒れ、9月に行われた地区予選のロシア戦(アウェー)の1日前に他界してしまったのだ。だが、勇敢にも亡き父のためにロナウドはロシア戦に出場し、この試合を0-0で引き分けると、チームは本大会進出を確実にした。後日、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督は、ロナウドの勇敢さを称えて特別の賛辞を呈している。

ロナウドはポルトガルを2006年FIFAワールドカップ™ドイツ大会予選のグループトップに導いた。次はいよいよ自身にとって初の本大会が待ち受けている。この大会は、マデイラ諸島出身のゴールデンボーイが、ブラジルの同名選手より輝き始める時となるかもしれない。だが、このティーンネージャーは浮かれてはいない。「僕にとっての唯一の関心事はベストを尽くし、マンチェスター・ユナイテッドでタイトルを獲得することなんです」と謙虚にコメントを残してしている。
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| | 2008/11/05/Wed 01:47[EDIT]
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