FC2ブログ
サッカー道は、サッカーに関する話題などを取り上げるサイトです。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ホセ モンティエル (PAR)
パラグアイのニューウエーブ、モンティエル
パラグアイは、年々確実に実力を伸ばし、南米のサッカー大国を脅かす存在になってきた。綿密な準備で成功を収めてきたパラグアイは、新しいバックボーンを率いる若手に自国の運命を託す。
「アルビロハ(パラグアイの代表)」の次なる挑戦は2006年ドイツ大会。彼らの方針が正しいことを証明するチャンスだ。ホセ・ルイス・チラベルト、セルソ・アジャラ、カタリノ・リバロラ、エスタニスラオ・ストゥルウェイ、ホルヘ・カンポスなどの有力選手が引退したが、カルロス・ガマラ、デニス・カニサ、ロベルト・アクニャ、ホセ・カルドソらベテラン勢は健在だ。さらにフスト・ビジャル、カルロス・パレデス、ロケ・サンタクルス、ネルソン・バルデスなどの若手たちがをチームを活気付ける。

パラグアイのあふれる才能はこれでは終わらない。今この国で最も注目を浴びる17歳のホセ・アルヌルフォ・モンティエルをはじめとし、さらに若いプレーヤー達が台頭してきた。

目を見張る成長
「モンティ」の愛称で親しまれるモンティエルは、1988年3月19日イタグアに生まれた。4人兄弟の末っ子である彼は、イタグアのクラブ・オリンピックでフットボールの世界に足を踏み入れる。パラグアイで歴史、人気ともにトップを誇るクラブ・オリンピアのスカウトが、偶然彼の比類なき才能を発見し、すぐに契約に持ち込んだ。テクニックに長けたこのセントラル・ミッドフィルダーは、黄金の右脚と試合への的確なビジョンを持ち合わせ、2004年2月12日に対ソル・アメリカ戦でデビューを飾ると、ぐんぐんスターダムをのし上がってきた。

「怖くはなかったよ。すべて自然な流れだった。レギュラーのユニフォームを身に付けるプレッシャーは感じなかったし、今でも感じてはいない」。16歳のまだあどけない少年は、驚くほど冷静に語った。オリンピアでレギュラーの座を確実にしたモンティエルは、2004年パラグアイで開催された南米U-15選手権の代表に選ばれる。

しかし、大会3ヵ月前に頚骨を骨折し、出場が危ぶまれる。7週間のリハビリで9月11日の開幕に間に合うかどうかは微妙だとされた。だが、すべての予想に反して、モンティは、最初の試合に出場。1試合目は17分、2試合目には42分プレーし、スタメンの11人に名を連ねた。チームのスターとして輝かしい活躍をしたモンティは、PK戦で冷静にシュートを決め、コロンビアを破って優勝を勝ち取った。

モンティエルがパラグアイ代表として2度目にユニフォームを着たのは、翌年の4月。2005年FIFA U-17世界選手権ペルー大会の予選だった。またもやモンティエルは、修練された効果的なプレーで目を見張る活躍を見せ、チームに貢献する3ゴールを決める。このうちの1つは、グループ戦の最終試合、対ブラジル戦だった。だが、ゴールは決めたたものの、チームは予選通過を逃すという残念な結果に終わった。彼は、「これで皆が精神的に成長できることを願っている。世界選手権を逃したのはパラグアイにとって、とても痛かったよ」と述べている。

最初のゴール
オリンピアに戻って活躍を続けたモンティエルは、シニア代表チームへの道を歩み始めた。5月4日、セロ・ポルテーニョとの一騎打ちの末、初のフェアプレー賞を獲得。中盤での激しい戦いでは、モンティエルの誠実で冷静なプレーが光り、ますます評価を高めていく。わずか2週間後、リベルタ戦で初のゴールを挙げる。「母の日に決めたこのゴールは彼女に捧げたい。母は、いつも自分をサポートしてくれたし、誰よりも愛している」。モンティエルは試合後にそう語った。

このような素晴らしい活躍をヨーロッパのクラブが放っておくはずがない。スイスのバーゼルがまず名乗り出たが、契約には至らなかった。この後、イタリアのクラブ、ウディネーゼがすばやく興味を示し、2006年の夏に入団するよう契約を交わした。1月のヴェネツィアとの親善試合でゴールを決め、3-0の勝利に貢献したモンティエルを見て、チームの経営陣は今すぐプレーさせたいと地団駄を踏んだ。

2006年ドイツ大会の代表として彼が選ばれるのは確実だろう。パラグアイの監督、アニバル・ルイスは、去年の地区予選で、最後の2試合にモンティエルを起用した。このチャンス到来には、誰よりもモンティエル自身が驚いたようだ。「出場できるとは思っていなかった。でもその時が来たら、期待に応えられるように全力を出すしかないと感じたよ。やってやろうじゃないか」と吉報が届いた後に意気込んだ。

昨年10月8日に、代表戦で公式デビューを果たす。この対ベネズエラ戦に1-0で勝利したパラグアイは、ドイツ大会への切符を手に入れた。モンティエルのプレー時間はわずか13分だったが、4日後に控えた対コロンビア戦では先発出場を確実にする見事なプレーを披露した。1-0でこの試合には敗れたものの、モンティは、ファンからもプレスからも絶賛された。「子供の頃からの夢がかなった。周りからの賞賛をどう思うかって?もちろん、やる気に拍車がかかるね。後は自分がこれまでの倍以上努力して、その期待を裏切らないようにすることだ。新たな出発だね」。試合後、彼は謙虚に語った。

代表チームの監督ルイスは、彼の開花した才能に熱いエールを送っている。「サッカーでは、若手が大舞台で活躍するのは稀なんだ。技術はあるが、1試合でヒーローになることは珍しい。このようなスターには時間とサポートが必要だ。アルゼンチン、ウルグアイ、スペイン、イングランド、イタリアの名選手たちも同じだ。そしてパラグアイだって そうやって時間をかけて花開いてきたんだ」。

コロンビア戦の前夜、モンティエルは試合に対する姿勢を明確に示した。パラグアイはすでに予選通過を決めているのだから、チームは少々手を抜いてもいいのではないかと尋ねられた時、彼は「僕はワールドカップのためにプレーする。だから全力を尽くす」と断言した。モンティエルの答えに反対する者はいない。そこには本物のプロに成長した若者の姿があるのだ。
スポンサーサイト
[PR]


Comment

 秘密にする

Track Back
TB*URL

Copyright © サッカー道. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。